雨が降ったら走るべきか
ネット上では古いネタが周期的に脚光を浴びたりするわけだけど、これは一つに、世の中に面白いネタの数など限られていてゆっくり増えるだけだから、忘れられた頃になると注目に値するネタが繰り返し取り上げられるという点があると思う。そして、そのネタが本質的に普遍的な興味深い対象を含んでいるということも大きな理由だろう。
ということで、
知識の泉 Haru's トリビア さん
「雨の中は走った方が濡れないか?走っても同じか?」
この他にも、
TABASCO PEPPER さん
「傘をささずに同じ距離を移動したならかぶる雨の量は同じ?」
焚書官の日常 さん 「まして雨の中となるとなおさらだ」
Ideal Break さん 「傘がないときは走ろう!」
と、あちこちで取り上げられている。どうやら、Gooやはてなで質問が上がっていた様子。自分でも考えてみたのだけど、改めて眺めてみるとコメントや記事中に同じ回答が既にあったりする。とまぁ、納得できる答え自体があるようなのだが、あちこちで興味を引きつけるのは、科学的アプローチの本質的部分が問題の中に含まれているからではないのかな。
僕も中学生の頃か、ブルーバックスの類の本の中で「走ろうが歩こうが濡れ方は変わらない」という解答を読んで納得いかなかった覚えがある。それが古典的な正解であって、通常の「雨が降ったら走って帰る」という行動感覚と矛盾していたので、パラドックスとして広まった問題な気がする。
少し前にはこんな記述もあって、トンデモぶりが僕も好きではない番組「あるある大辞典」で実験をやって、「濡れる量は同じ」と結論付けているとか。(足場の悪い場所に水溜りをいっぱい作り、走る場合は避けずにバチャバチャやった結果で、衣服の含水量を計測する。)番組のページを見ても該当する回が見つからなかったのでこれが本当かどうかは分からないけれど、似非実験を「科学実験」とする、あんな番組ではさもありなんといった気がする。
一方で、アメリカのDiscovery Channel でも、都市伝説等を検証する"Myth Busters"という番組で、入り組んだ通路中を歩いたり走り抜く実験を繰り返し、含水量を計測した様子。こちらも自分の眼では未見で、ホームページ上にも情報がないので何だが、少しはまともそう。ただし、実験結果がどうだったのか定かではないので、あまり役に立たない知識。
以上を含めて、ほとんどの議論がコメントのやり取りで網羅されていて面白いのが、
Acts of Volition "A Math/Physics Word Problem"
数式も織り交ぜて侃々諤々の議論が繰り広げられている。(これも今年の10月のエントリーなので、世界的に流行しているんですかね。)
科学というのは、1. 現実を単純化して重要な要素を抽出するモデリング → 2. 現実と一致しているかどうか検証する理論解析や実験 → ダメな場合は1へ戻って修正、というパターンが本質にある。今回の雨の問題でも、いかに前提条件をおくのか(1)、それが現実と一致しているのか(2)を考えるプロセスの面白みが、これだけ人の興味を引き付ける根底にあるんだろう。そこがオカルトと科学の違いでもあるんだけど。
で、結論はどうなのか。最初に考えなければいけないのが、止まっている場合と走っている場合の差。上記の諸サイトの回答で何度か眼にするのが、
「歩くスピードが無限小の、立ち止まった状態を考えれば、走る場合との差は明確。立ち止まっている方が濡れるだろう?」
との内容。この内容からも明らかなように、動くことによって雨は斜めに吹きつける場合と同じになる。

従って、止まっている場合は頭に降る雨を考えればよいのに対し、動いている場合は体の前面に吹き付ける雨を考えなければならない。すると、さらにいろんな問題が出てきて、前提条件の仮定がポイントになってくる。特に、最初に頭に浮かぶのが、
「止まっている場合は頭のてっぺんしか濡れないのに、動いている場合は体の前面という広い部分も濡れるので、止まっている方が濡れない筈だ。」
との議論。つまり、「雨が降りつける表面積をどう仮定するのか?」という話につながるわけだ。残念ながら、今回の議論は歩くか走るかという議論なので、止まっている場合というのは例外的な状況になる。「歩いている状態の方が立ち止まっている状態に近いので濡れない筈だ」というのは一種の思考の罠で、速度ゼロの立ち止まった状態がその前の歩いている状態から連続的につながっていない状況下では成り立たない論理ということ。
他にも面白い議論が出て来て、幾つかの考慮すべき条件に思い当たる。
・「体を傾けるのはどうよ?」: 雨の振りつける方向に体を傾ければ、立ち止まっている状態と同じで、雨に対する表面積の増加を抑えられる。ただし、現実には雨の方向も完全な平行でないから、全く前面を濡らさないわけにはいかない(これは立ち止まっている場合も同様)。体の角度の調整も難しいから、ここでは、垂直に立っている状態を仮定する。
・「濡れるって?」: 頭が濡れたら、重力で水がそこから垂れ出す。これで濡れる場所が広がるのでは?という質問も。これは上のTV番組の実験例のように、衣服が完全に水を吸収する素材と想定して、「濡れる量」=「衣服に含まれる水量」と仮定すれば問題ではなくなる。「一度雨水が当たったところに、また雨水が当たったら?」という質問も同様(これを2度目はカウントしないと仮定すると、もう少し難しい確率の問題に化ける)。
・「傘さしゃいいじゃん!」: 「傘させばいいだろ」というオチの回答もあるようだけど、これも面白い要素を含んでいる。
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傘の大きさが十分であるとすると、立ち止まった状態でさしている場合にはある程度の余裕があるが、斜めの雨に対しては守るべき表面積が増えるため余裕代が無くなる可能性が高い。動くスピードが上がると傘をさしかけるコントロールも狂いがちになるので、傘のガードを超えて雨が降りかけることが多くなるという論理付けはどうだろう。これは確率的な前提を置くことで吟味できそうだけど、ま、傘無しの仮定の方が問題の意図には則しているだろうから、この問題はパス。
・「走ると泥水を跳ね上げるだろ?」: もしも同じように水溜りに足を突っ込むのであれば、走ろうが歩こうが濡れる量は変わらない筈。でも実際には「勢いよく突っ込んだ方が濡れる」というのは、ズボンの裾等、体の上部にかかった場合の方がインパクトが大きいところにある。つまり、靴底や靴の高さレベルに跳ね上がっても濡れたとカウントされないということ。となると、ある一定(例えば靴の高さとする)以上に水を跳ね上げた場合のみ濡れるとなるので、一定スピード(=一定の運動エネルギーを持つ場合)より下ならば路面の水が問題なく、以上ならば影響するという不連続関数の問題になる。単純化するためならば、「走る」「歩く」速度の両者が基準以下とするべきか。
さて、以上の前提を踏まえて考えてみる。頭が混乱しがちなのは、主に2つのメカニズムを考えなければならない点にあるのかな。絵を書くと考えやすい。
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体の前面に当たる雨は、霧のような状態、もしくは次のように考えればいい。あちこちに枝の突き出た森の中の小道を走リ抜ける。前方の道にある枝の数は同じなので、走ろうが歩こうがぶつかる数は同じ。つまり、通り抜ける体積、表面積が一定なので、移動距離に比例する。
これだけを考えてしまうと、「走っても歩いても、同じ行程距離ならば変わらない」となってしまうが、実際は上面に当たる雨がある。こちらは、雨滴が頭(上面)の高さに降りかかる瞬間に頭が無い限り濡れることはない。つまり、一定面積に雨の落ちる確率によるため、走ろうが歩こうが濡れる量は一緒で、時間が長ければ濡れる量も増える。移動時間に比例するというわけ。
ということで、常識的に考えれば与えられた問題は一定距離を走る場合と歩く場合の比較論と想定できるので、前面が濡れる確率は一緒、早く移動すればするほど移動時間が短くなるので、走る方が上面の濡れる量が少なくなるというロジック。つまり、走った方が濡れない。
なお、パラメータを変えて濡れる量を計算するプログラムなんかも落ちてた。> DC Physics
P.S. 勉強・仕事を通じて理系サイドの人間と思いつつ、理系人間を名乗るにはおこがましい気がするんですが、こんなエントリーもアップしたことですし、「自分はどちらかと言えば理系だと思う方」とのことなのでついでに宣言 ~ 理系BLOG宣言。ブログ内容は全然理系じゃないのは重々承知ですが...


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