理系 vs 文系
書きたいことを思い付いた時に書くスタンスで続けるようになって来たので、過去に「書いてみようか」と書いてその実書いていないエントリーとかが結構ある。そもそも、ブログを別の場所で始めた当初は「毎日書かなきゃ」という状況があって、毎日続けるための題材設定をする必要もあったので、その内飽きて「その1」で終わっているシリーズとかもあるんだけど。
確か昔に「理系と文系の分岐点」みたいな話を書こうかな?と書いたような気もするけれど、もう1年近く前かもしれないので記憶が定かではない。あんまり新鮮な切り口の話にもならないのかな。
世の中で一流の人材を見れば、「理系」と「文系」といった単純な区切りの知識しか持っていない人って使いものにならないのが分かるように、大雑把な二律区分も哲学上の「心身二分論」みたいに時代遅れな感があることはある。(研究者として象牙の塔内の道を歩む場合は話が別。)でも、一般的な社会の現状を見ると、そういった切り分けで嘆きたくなる気持ちも分かる気がする。日本は「文系支配の国」といった話のこと。
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1年半前に出た毎日新聞の連載をまとめた本で、一通り出てきそうな議論を広くカバーしている一方、切り込みが浅いのが何となく日本のジャーナリズム的。少し前に「失敗」について考えたりしていたので、7章「失敗に学ぶ」が少し面白かった。実は最近知ったのだが、この連載記事の記者がブログを始めている。
「理系白書」ブログ
新聞記事にはそれなりに反響があったのかとは思うけれど、こちらのブログの注目度は微妙なのだろうか。コメントでも記者氏の隙の多さがしばしば指摘を受けていて、そこら辺にも「文系社会日本」を思わせる一面も。
さて、「理系白書」のサブタイトルが「この国を静かに支える人たち」で、冒頭の内容が「報われない理系出身者」→「生涯賃金の格差、家一軒分」、「政界、財界もトップは文系」→「中枢に理系が不可欠」であるように、一番の問題の根源が「本当の必要性とリンクされず、社会的にそれ相応の対価を与えられていない理系的素養の現状」であるのはまぁ確かであるような気がする。
日本の高度成長期を支えたのは明らかに製造業周辺で、海外の技術を追っかけたプロジェクトXに出てくるような人達とか、自動車産業のような品質・生産管理に関わった人達、世界に冠たる技術を持つ中小企業の工場達だろう。製造業の場合、開発者は言わずもがな、経営に関わった人材だって、少なくとも理系的知識を勉強しなかった筈がない。
ちなみに、最近の日本ではコンビニや服飾のような小売業や通信といった分野にも世界に通用するイノベーティブな要素がある。欧米ベンチャー企業での Google のようにシリコンバレー・スタイルの先端技術がベースにあるビジネス・モデルに比べて、日本の場合、サービス業態をどうするかという文系的な部分に狙いを定めることが多いという話があって、一つには変動の激しい市場の性格の違いが背景にあるとは思う。一方で、理系人材がコミュニティに閉じこもって、そうした業界に出てこない、来れないという部分もありそうだ。
日本の高度成長に対して、「国の発展を支えたのは当時の優秀な官僚がいたからだ。それに比べて、今の役人どもは...」という辺りには、「実は昔の官僚も...」というここら辺の文章が興味深い。
「官僚神話の源流を追う」 (別冊宝島『官僚くんが行く』(1998) )
「官僚いじめもほどほどにね」 (Hotwired 山形浩生の『ケイザイ2.0』)
要は「結果論で日本の経済運営は成功したが、官僚達の政策運営は大勢に寄与していなかったというのが定説」との話。この上に、先の「理系白書」でも挙げられているように、政治家・官僚の大半が文系出身者という話が乗っかって、それにゲノムの失敗例等々、科学技術政策の失敗に見る「科学オンチ」ぶりが述べられて、中国やヨーロッパの政治家・官僚の理系出身者率が反例として挙げられるというのが、日本の現状を嘆く基本パターン。
以下の本でも、宇宙開発政策における「理系オンチ」ぶりが、「理工系教養の欠如が招いた混乱 -無理解のまま進められた情報収集衛星計画」として痛烈に批判されていて興味深い。
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本自体はちょっと「宇宙オタク」っぽすぎる内容の感じもするのだけど(現実にそういうオタクはいるようで、僕の周辺にも強力なのがいる)、なかなか意欲的でいい本だと思う。一番の失敗の原因を中枢の「理系オンチ」ぶりに置いて指摘している。
このように弊害が明らかであるのに、必要なポジションや役職に対して理系的な素養が無くてもOKとされてしまう風潮だが、「理系白書」内では阪大の1999年の調査例を挙げていて、入社すぐの給料が理系出身者が平均で70万円ほど高いのに対し、その後の逆転現象で生涯を通すと5千万円ほどの差になると書かれている。昨今までは金融業界はなぜあれだけ高給取りなんだという反感が世の中にあったと思うが、一般的に文系出身者の経営トップが多いというのも確かだろう。
ここら辺はやはり欧米人では違和感があるようで、昔、学生時代にオランダ人と卒業して行く日本人の諸先輩の行き先を説明していた時に、「日本のような国でなぜエンジニアの年収と地位がそれ相応でないのか?」という話になったことがある。
アメリカでは一般的には「文系」的な学位 B.A. や M.A. に対し、「理系」的な学位(厳密に言えば「科学」の学位) M.S. や M.A. の方が就職にも有利で、平均給料も高い。文系の学生生活も要求される勉強量はなかなかのものなのだが、それにも増して卒業のために研究論文をしあげ、研究プロジェクトにも幾つか参加しなければならないような理系の方が単位の取得や卒業が厳しいのも確かで、そこら辺の研究(室)生活は日本の理系学生もそんなに変わらないかと思う。そうした苦労に対して、それ相応の対価が用意されているということになる。
お金のような外的な動機よりも、達成感ややりがい、目標設定といった本人の求める内的動機の方が、本当の成功につながるという「報酬」に関するロジックもあるので、個別の議論になればお金が全てではないのだろうが、総体的に見れば金銭的「対価」は一つの大きい因子である。
金銭的対価はある意味アメリカでは明確な基準で、IT産業のオフショアリングを受けて、MITでここ3年でコンピュータ学科専攻の学生が半分になったという話もある(日経 2004.11.25 「IT大国 揺らぐ土台」)。ビルゲイツがカリフォルニアのバークレーにコンピュータ学科の魅力を訴えに行ったという話もあって、将来の有望性から優秀な学生がバイオや金融方面に流れているという現状がある。才能はやはり収入に比例した業界に流れて行くということ。
こうした話をしていると、一般的な話で「理系出身者の方がコミュニケーション能力が低くて、経営トップには向かない」という話が出てきて、理系を専攻するからコミュニケーション能力が低くなるのか、元々コミュニケーションが苦手な人間が理系を選考するのか、「鶏と卵」のような話にもなってしまう。大枠としてそういった話が分からないではないのだけども、議論として重要な基本的部分を見逃してるとも思える。「理系」とか「文系」の出身が問題なのではなく、「理系」的な素養を持ち合わせることができるのかが問題ということ。
加えて、「コミュニケーション能力」や「リーダーシップ」というのが必ずしもクラブ活動やサークル活動における社交性と一致するものではないというのは採用のスペシャリストも語っているので、一般的なイメージの「コミュニケーション能力」と本当に仕事の場で必要とされるものに少し開きがあるような気もする。
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そもそもリテラシーやプレゼンの能力で言えば、理系の方が訓練は受けている筈だろう。一方で、日本の企業文化が学校での教育内容よりも、入社後の教育・経験を重視するということが、まず「つぶしが利く文系」という風説につながっていたという点もある。そうした会社の教育制度は、品質や社員のモチベーションを保つ上で一つの長所であって来たのでもあるだろうけれど。加えて、以下の文章にあるような「仕事と遊びが一体となった同僚との疑似家族的小宇宙」という側面も、「コミュニケーション能力」の考え方に大きな意味を持っていたかと思う。
梅田望夫・英語で読むITトレンド:
「楽しい日本の会社」にアンチテーゼを突きつけるデル (2003.11.6)
つまり、特に高度成長期の日本企業を思わせるようなそうした世界観の中では、「サークル活動」的な社内コミュニティに対するコミュニケーション能力が重要であったのかというところ。個の生活を重視する世代が増えた上、リストラ・能力給の厳しい職場環境のおかげで、「和」よりも利益を産み出す能力がシビアに求め出された中、果たして以前までのベースで考えられるのかという問題がある。
結局、文学やアートの世界か法曹界の場合以外では数学・理系・科学的な素養というのは欠かせないはずで、しかもそれはあくまでも基本的な素養という部分になる。やっかいなのは、理系的な体系的基礎知識というのはいきなりの独学がしにくい点にある。演習と実体験・試行錯誤による学習が知識化には不可欠というのは行動科学等の定説のわけだけど、学校のような場での教育の方がどうしても効果的になるのではないか。
自分も進路選択の際に文系と理系の進路のどちらを選ぶか悩んだことがあるけれど、好むと好まざるに関わらず必要な基礎知識というのが理系・文系両方にあって、基盤の部分はある程度、基礎的な教育で学んでいないと、自学で先に進めることもしにくい。実社会に出て、学校で教えるべきそうした基盤に思い当たることも幾つかあって、理系出身の自分の能力を見ても、統計の基礎を教えるというのが日本の教育カリキュラムでは足りなさ過ぎると思う。
つい昨日も出張移動の電車の中で、期末試験期間らしい中学生達が「社会の暗記の方をまずやんなきゃ。時間かかるし。因数分解なんてコンピュータで終わり。数学は実生活じゃ役に立たないからなぁ。」と話していたけれど、一番「理系」的な素養として重要なのは、問題解決を通して学ぶ「科学的な問題の考え方」や「解決方法の模索のし方」にあると思う。そして、これはそれなりに時間をかけた経験や訓練でしか身に付かない。
「数学なんて実生活で役に立たない」という学問と教養に関する議論については、この本なんかも考えさせられる。
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最近株を落としている立花隆だけに、じゃあどうするのか?という最後の方の議論に結構?マークがついたりするのだが、中の一節で哲学者オルテガ・イ・ガゼットを引いている。
「現代の教養の大部分は科学から発している......(よって、)社会の指導層が、今日、物理学的世界秩序が何を意味するのかを知らないとすれば、彼らは完全な野蛮人である。」
本来、即効的で実学的ではない知識である「教養」についてどう教育するか?という点について、僕には少々異論があるのだけれど、それを置いておいたとしても、科学的な知識という奴には「教養」的な価値以上に「実学」としての価値があると思う。
実社会に出て実感したのだけど、一種のデスクワークをする場合、学歴とかに関わらず論理的な考え方ができる能力というのは重要になって来る。実社会の問題は理論に出てくる問題よりも遥かに複雑で解くのが難しい。MITのビジネススクール教授 A. Geoffrion が70年代に論文タイトルで
「常識による計画は貴社の健康にとって有害になりますよ!」
と書いているのだけど、影響する要素が多い場合、往々にして人間の直感と科学的な最適解がずれる。理論的なものの考え方というのが重要になってくるわけだ。
そこら辺が算数嫌いを産み出すきっかけにもなっているような気もする。授業でいろいろな理論を理解して行く上での「分からない」というつまずきは、常識的な感覚に対しての違和感を超えられないところにあるんじゃなのかなと思うわけだ。
オカルト信仰者みたいな科学的素養がない人間が勘違いしやすい理屈として、「科学では説明できないことがある、だから~(霊界は存在する云々)」といったものがあるけれど、科学者は科学の説明能力の限界なんて重々承知している。数式に入れれば答えが出てくるというイメージは嘘で、例えば物理の基本である力学においてですら物が3個以上に増えると、その挙動は完全には式で求まらなくなる。
簡単には説明できない現実を「うまく説明できる」ような単純化したモデル・理論・しくみを作り上げる。そうしたモデルを幾つも並べて、理論的に検証した上で最も「うまく説明が合う」ものを選び出すというのが科学の本質。だから、現代科学では説明できない内容に対する対案に、さらに現実に合わないようなくだらない理屈を持ち出すというオカルト的なものが笑止なのはそこの部分にある。でも、人間の直感的・感覚的な部分と科学の指し示す方向の違いという点では、トリックのテクニックとして個人的に興味を持っているところではあるのだけどね。
さて、新聞には「理系離れ」の言葉が踊っているけれど、それは本当なのだろうか?
内閣府「科学技術と社会に関する世論調査」
(18歳以上対象、2004年1~2月実施、全国2,000人回答)
→「科学技術に関するニュース・話題に興味がある」 10代 36.4%、 50代 58.8%
国立天文台アンケート結果
(小4~6対象)
→「地球は太陽の周りを回っている」 正解 56%、 不正解 42%
兵庫県芦屋市「学習状況および生活・意識調査」
(小5と中2対象、2004年1月実施)
→「数学がとても好き、まぁ好き」 小5 65.4%、 中2 49.9%
IEA「数学・理科の学力に関する国際比較調査」
(中2対象、2003年実施、46国・22.4万人回答)
→「数学成績順位」 1981年 1位、 2003年 5位
→「理科成績順位」 1970年 1位、 2003年 6位
残念ながら、やっぱり本当らしい。ダラダラ書いて来た上のような議論を踏まえても、教育の制度にもいろいろ問題がありそうだ。しかし、天動説はちと驚異的。アメリカの子供が進化論を教わらないことを笑ってもいられない結果だ。
世の中の雑誌やTV番組を見て海外と比べても、世間一般にもう少し理系的分野に興味があってもいいと思う。頂上に上るまで遠くを見渡せないような教育の仕方にも問題があって、先端技術や社会に役立っている技術にどうつながっているのかをうまく見せてあげれば、汗を書いて基礎理論を学ぶ、山をえっちら登っているような間にも張り合いが産まれると思うのだけど。







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